国境の北と日本人

¥ 2,000 (税別)

書籍内容

藤巻光浩[著]
四六判並製/256頁/2000円+税
ISBN978-4-8461-1901-0 C0095

旧樺太豊原、ロシア兵から逃れるため日本人はバスに乗り込み点呼を受けた。しかし朝鮮戸籍の彼の名前は呼ばれずバスを降ろされた……
近代日本の国境の北であった大地。サハリン(旧樺太)、アイヌモシリ・旭川から青森へ──「国境」の北への旅。コロニアルな記憶を辿る旅から見えてきた「日本」と「日本人」の自画像……(2019.1)

■内容構成
はじめに
序 章 国境の北へ
旅での「出会い」とは
メディアとしての旅行記・紀行文
「国境の北」へ
第1章 サハリンと樺太の中間へ
なじみのある旅とは
地図というメディア~オホーツク海を中心にしてみる~
混ざり合う文化
私の知らない「旅」
ディアスポラ(民族離散)の旅とは
北海道になりそこねたサハリン
初めての野宿
マフィアと「友達」になる?
イワナ、万歳!
アニワ湾でのカレイ釣り
サハリンの韓国人たちとカラオケを歌う
サハリンへの旅が求めるもの
再び、地図の読み方
第2章 アイヌモシリ・旭川のはざ間に
国見の碑からみる上川盆地
北海道の神社と兵村
軍国ミュージアムと地域のミュージアムの間で
旧日本軍と自衛隊の間を埋めるもの
「軍都」の記憶はどこで生まれるのか
旅の目的地としての図書館
フィールド・ワークからホーム・ワークへ
近代ミュージアムとしての北鎮記念館
旭川市博物館展示の中の「ペニウンクル」とは
「他者」を知ろうとすると出会ってしまう「自分」とは
「物質文化」とは誰のためにあるのか
旭川市博物館のみどころ
ハイブリッドな動物園のケモノたち
コスプレとしての動物園での行楽
本当のチセとは
理念としての「日本人」とアイヌ
ことばが旅するための平等とは
川村カ子ト・アイヌ記念館の見どころ
第3章 東北への旅と電気の旅が交錯する場へ
サハリンと青森県の、二つの「豊原」
シズエさんと私たち
ごみ問題から考える
牛は命をかけて乳を出す
大地を踏みしめることと「近代」時間
シュミレーション・ゲームやユルキャラと科学技術展示
稲作イデオロギーと東北
米を食らう「日本人」とは
シューカツと天職
MISAWA基地とセクシュアリティ
理想的なサイエンス・コミュニケーションとは
ミュージアムとアトミック・カルチャー
旅の目的地から、その途中への旅へ
電気は旅をするが、「日本人」は旅をしない・
終 章 国境の北と「日本人」の旅
「見たい、買いたい、食べたい」を満足させる「目的地」
旅の途中へ
文献一覧  あとがき

納品について

版種類

印刷製本版, 電子書籍版

書評

サハリン歩き、見えた日本

北海道の北に位置するサハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、南半分は日本領だった。著者は「日本人が旧植民地を旅することで、その考え方や自画像はどう変わるのか」という関心を抱き、現地を訪れる。
自身にとっては「心を揺さぶり、内側から変えられるような旅だった」。韓国系ロシア人の梁さん(仮名)との出会いが大きかった。彼の父親は朝鮮半島から徴用され、炭鉱で働いた。旧ソ連軍の侵攻から日本人の同級生が逃れる際、梁さんも同じバスに乗ろうとした。だが「日本人じゃない」と降ろされる。
「自分は帝国臣民として日本名を名乗り、小学4年まで日本人と思っていたのに」。梁さんは悔しさをにじませた。戦後は祖国への帰還もかなわなかった。そんな梁さんは同級生を懐かしみ、カラオケで藤山一郎の曲を歌った。
梁さんらの身の上に起きたことや戦後の境遇を、日本人はどれほど知っているのだろうか。著者は「忘却の穴に落ちる」という言葉を思い浮かべる。日本人は忘れていることさえ、忘れている状態じゃないのか─と。 サハリンには旧樺太庁博物館、旧拓銀支店の建物をはじめ、植民地時代の製紙工場跡や神社の鳥居、石碑が残り、日本の観光客がよく立ち寄る。著者は自身の経験を踏まえ、旧植民地の歩き方を考える。
「統治時代の建物を観光するだけなら『日本人はいいことをした』と思う人がいるかもしれない。でもそれでは歴史の影を見落とし、旅によって自分が変わる機会を逃さないか」
本書は北への三つの旅の紀行文の形で収録した。サハリンのほか、旭川で明治以降のアイヌ民族に対する政策を考え、最後は青森県六ヶ所村を訪れた、歴史という鏡に映る日本人の姿を問う。 フェリス女学院大教授(横浜)で 54 歳。大学院進学とともに渡米し、10 年以上暮らした。30 代の時はナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者を訪ね、聞き取りを行うなどした。

【伴野昭人・『北海道新聞』編集委員】
『北海道新聞』2019年4月7日付より。

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