サハリン歩き、見えた日本

『北海道新聞』2019年4月7日付より

 北海道の北に位置するサハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、南半分は日本領だった。著者は「日本人が旧植民地を旅することで、その考え方や自画像はどう変わるのか」という関心を抱き、現地を訪れる。
 自身にとっては「心を揺さぶり、内側から変えられるような旅だった」。韓国系ロシア人の梁さん(仮名)との出会いが大きかった。彼の父親は朝鮮半島から徴用され、炭鉱で働いた。旧ソ連軍の侵攻から日本人の同級生が逃れる際、梁さんも同じバスに乗ろうとした。だが「日本人じゃない」と降ろされる。
 「自分は帝国臣民として日本名を名乗り、小学4年まで日本人と思っていたのに」。梁さんは悔しさをにじませた。戦後は祖国への帰還もかなわなかった。そんな梁さんは同級生を懐かしみ、カラオケで藤山一郎の曲を歌った。
 梁さんらの身の上に起きたことや戦後の境遇を、日本人はどれほど知っているのだろうか。著者は「忘却の穴に落ちる」という言葉を思い浮かべる。日本人は忘れていることさえ、忘れている状態じゃないのか─と。 サハリンには旧樺太庁博物館、旧拓銀支店の建物をはじめ、植民地時代の製紙工場跡や神社の鳥居、石碑が残り、日本の観光客がよく立ち寄る。著者は自身の経験を踏まえ、旧植民地の歩き方を考える。
 「統治時代の建物を観光するだけなら『日本人はいいことをした』と思う人がいるかもしれない。でもそれでは歴史の影を見落とし、旅によって自分が変わる機会を逃さないか」
 本書は北への三つの旅の紀行文の形で収録した。サハリンのほか、旭川で明治以降のアイヌ民族に対する政策を考え、最後は青森県六ヶ所村を訪れた、歴史という鏡に映る日本人の姿を問う。 フェリス女学院大教授(横浜)で 54 歳。大学院進学とともに渡米し、10 年以上暮らした。30 代の時はナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者を訪ね、聞き取りを行うなどした。

【伴野昭人・『北海道新聞』編集委員】