問題は炭酸ガスでなく人である
◉『毎日新聞』2016年3月13日号より
(…) 著者の前提は明瞭である。化石燃料の使用によって、炭酸ガス濃度が増大している。その結果、温暖化が進行する。平均気温で三度も上昇しないうちに、大破局が来るはずである。それがいつであるかは問題だが、そう遠い将来ではない。/それなら炭酸ガス濃度を減らさなくてはならない、だれがそれを出しているのか、そもそもなぜ炭酸ガスの濃度が上昇したのか。いわゆる先進国のせいである。実質経済の成長とは、つまりエネルギー消費の成長である。日本のように急速に経済成長をした国は、それだけのエネルギーつまり化石燃料を消費したから、それだけの炭酸ガスを出したことになる。その結果、地球環境に破綻が生じるとしたら、だれが責任を負うのか。
(…)こうした思考を素直に追っていけば、解答はおのずと明らかである。GDPなんか、クソくらえ。燃料は配給制度にしたらどうか。炭酸ガスを減らすためには、使える化石燃料の量は限定される。それに従って社会を運営するしかない。配給について、著者は戦時下のイギリスの例を挙げる。食糧配給制の下で、イギリス人はより健康になった。ただし念のためだが、ナチス・ドイツでも国民の健康は増進した。国家的に禁煙運動を始めたのはヒトラーである。
(…)著者はイギリス人で、たぶん個人的に話をすれば、喧嘩にはならないであろう。論理はその通りだと思うからである。ではなぜ世界はそう動かないのか。大勢の「まともな」市民がいわば経済成長を目指して働いている。その家族は車を使わないことについて、どう思うだろうか。トヨタや日産の従業員はどうすればいいのだろうか。日航はどうか。
1つだけ、はっきりしていると私は思う。問題は炭酸ガスではない。人なのである。
【養老孟司】
- 生態学的債務¥ 3,600 (税別)