賄賂と乱伐 悪魔からの贈り物

◉『朝日新聞』2017年12月2日朝刊より 

─楽園があった。名はサラワク。ボルネオ島北西部の豊かな森で、人びとはサゴヤシの樹からデンプンを採り、吹き矢で鳥を狩って暮らしていた。
 楽園のほとりに悪魔が生まれた。名はタイブ。貧しい大工の息子の彼は、小さな偶然でサラワク州の大臣となり、より大きな権力が欲しくなった。そのためには資金が要る。そうだ、伐採ライセンスを売ろう。
 タイブは既存の伐採ライセンスを凍結し、賄賂と引き換えに業者に再発行するシステムを思いつき、実行した。
 大破壊が始まった。ブルドーザーとチェーンソーが熱帯雨林を焼き払い、切り出された木材は建設ラッシュ中の日本が消費した。(…)
 白馬の騎士が現れた。名はブルーノ・マンサー。スイス生まれで、サラワクの自然をこよなく愛し、原住民と森で暮らしていた彼は、悪魔の侵攻に敢然と立ち向かった。道路を封鎖し、国外への抗議ツアーも催した。運動は実らず、彼の足跡は森に消えたが、仲間が志を継ぎ、わずかな森を守る戦いは続いている。
 乱伐で森が再生できなくなった跡地には、一面にオイルパームの赤い実がきらめく。腐敗しやすく大企業にしか管理できない実だ。
 33年後、悪魔は去り、楽園は永遠に失われた─。
 これがサラワク版の失楽園である。楽園を失う。顧みれば人類は、創世記以来それを繰り返してきた。何かを得れば必ず何かを失う。私たちは今、悪魔の贈り物の上で暮らしている。

【山室恭子・東京工業大学教授/歴史学】